T-ARAの新曲を、あえて「未完成の状態」で3日間聴かせ続けたら、何が起きるのか。完成版を聴く前の期待度は、曲ごとに同じように上がるのか、それとも2曲目で早くも頭打ちになるのか。今回は、この素朴な疑問を自分の耳とメモで3日間だけ追いかけてみた記録だ。

きっかけは、T-ARAの新曲をフルで聴く前に、ラジオで流れた短いティザーや、SNSに上がった数秒のサビだけを何度も耳にしてしまったことだった。最初は「早く全部聴きたい」という気持ちがどんどん膨らむ感覚があったのに、2曲目の断片を繰り返し聴いているうちに、なぜか期待の高まり方が鈍くなった気がした。これは気のせいなのか、それとも「未完成のものを繰り返し触れる」こと自体に、何か行動心理的なクセがあるのか。今回はそこを、T-ARAの新曲を題材に、3日間の簡易的な観察としてまとめてみる。

なぜ「未完成」の繰り返しは、最初だけ効くのか

まず前提として整理しておきたいのは、「未完成の状態」で聴くことには、大きく分けて2つの効果があるということだ。ひとつは、先の見えない部分を想像で補うことで生まれる期待感。もうひとつは、繰り返し触れることで生まれる「もう知っている」という感覚。この2つは、聴き始めは同じ方向を向いているのに、回数を重ねるうちにぶつかり合う。

行動心理学の世界でよく引き合いに出されるのが、バラス・スキナーの提唱した「変動比率強化(variable-ratio reinforcement)」だ。報酬が毎回同じタイミングで得られるのではなく、ランダムな間隔で得られるとき、人はその行動をなかなかやめられない。スロットマシンが典型例として語られるけれど、ここで大事なのは機械の話ではなく、「次に何が来るかわからない」という不確実性が、行動を続けさせる力になるという構造のほうだ。

未完成の新曲のティザーは、まさにこの構造に近い。フルバージョンという「報酬」がまだ手に入らない状態で、数秒のサビだけが断続的に耳に入ってくる。最初のうちは「次こそフルで聴けるかもしれない」という不確実性が、こちらを曲に向かわせる。けれど、この強化の仕組みには弱点がある。報酬が得られない状態が続くと、行動の頻度は徐々に下がっていく。つまり、未完成の繰り返しは、最初の数回は期待を押し上げるけれど、回数を重ねるほど「まだか」という感覚に置き換わりやすい。

もうひとつ、ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーの「プロスペクト理論」で知られる「損失回避」も、ここに絡んでくる。人は同じ大きさの得よりも、損を強く感じる。未完成の曲を聴いているとき、頭のどこかでは「この数秒を聴いたせいで、完成版を初めて聴くときの新鮮さを一部失っている」という小さな損失感が働いている。最初はその損失が気にならない。でも、2曲目、3曲目と断片を重ねるうちに、「もう知っている部分」が増えていき、損失感のほうが相対的に大きくなっていく。期待度が2曲目で下がったように見えたのは、この「知っている部分の蓄積」が原因だった可能性が高い。

「知っている」が増えるほど、想像の余地は減る

ここで一度、自分の聴き方を振り返ってみる。1曲目のティザーを初めて聴いたとき、頭の中ではサビの先のメロディを勝手に想像していた。これが案外楽しい。ところが、同じティザーを10回、20回と聴くうちに、想像していたメロディが「聴いた数秒」に上書きされていく。想像の余地が、記憶で埋まっていく感覚だ。

これは、認知心理学でいう「処理流暢性(processing fluency)」の話とも通じる。同じ情報に何度も触れると、脳はそれをスムーズに処理できるようになり、「知っている」という感覚が強まる。この流暢性そのものは悪いものではないけれど、期待感という文脈では、流暢になりすぎると「もう十分に知っている」という飽和に近づく。T-ARAの曲のように、サビの印象が強い楽曲ほど、この飽和は早く訪れやすい。数秒の断片が強烈なほど、その数秒で想像できる範囲をすぐ使い切ってしまうのだ。

3日間の観察で見えた、曲ごとの期待度のカーブ

ここからは、実際に3日間だけ試した簡易的な観察の話をする。方法はとても地味で、T-ARAの新曲2曲について、それぞれ未完成の断片(ティザー相当の短い音源)を1日3回、3日間聴いた。聴くたびに、完成版への期待度を10段階でメモした。被験者は自分ひとり、条件も統制していない、いわゆる「ひとりごと計測」に近いものだ。統計的な意味はないけれど、曲ごとのカーブの違いを見るには十分だった。

1曲目は、聴くたびに期待度が上がった。1日目は6、2日目の昼で7、3日目の朝には8まで上がった。断片のメロディが耳に残り、フルバージョンでどう展開するのかという想像が、回数を重ねるごとに具体的になっていったからだ。

ところが2曲目は、1日目こそ1曲目と同じように6から7へ上がったものの、2日目の午後には6に戻り、3日目には5まで下がった。同じように聴いているのに、カーブが途中で折り返してしまった。理由はいくつか考えられるけれど、いちばんしっくりきたのは「2曲目の断片が、1曲目よりわかりやすかった」ということだった。わかりやすいというのは、聴いた数秒で曲の骨格がほぼ見えてしまうということで、想像で補う部分が少ない。補う部分が少ないと、繰り返し聴いても新しい発見が生まれにくく、期待度は上がりにくい。

これは、心理学でいう「好奇心の情報ギャップ理論」とも整合する。人は、知っていることと知らないことの間に適度なギャップがあるとき、いちばん強く好奇心を刺激される。ギャップが大きすぎても小さすぎても、好奇心は弱まる。1曲目はギャップが適度に残っていたから期待が伸びた。2曲目はギャップが早く埋まりすぎて、期待の伸びしろがなくなった。同じ「未完成」でも、中身のわかりやすさでカーブは変わるのだ。

具体例として思い出した、ある調査の話

ここで、少しだけ別の話を挟みたい。大学の研究で、映画の予告編を繰り返し見せたときの「本編への期待度」を測ったものがある。予告編を1回だけ見た群より、3回見た群のほうが期待度は高かったけれど、5回、7回と回数を増やすと、期待度は頭打ちになり、やがて下がる傾向が見られたという。要は、予告編の繰り返しには「効く回数」の上限がある、という話だ。

この調査をそのままT-ARAの新曲に当てはめるのは乱暴だけれど、構造はよく似ている。予告編もティザーも、本編の一部を切り取った未完成の情報だ。そして、繰り返し触れることの効果には、必ず上限がある。今回の観察で2曲目の期待度が早く下がったのは、この上限に早く到達しただけ、とも言える。曲のわかりやすさが、上限に到達するスピードを早めたわけだ。

なぜ「2曲目」で折れたのか、3つの見立て

ここまでの話を踏まえて、2曲目で期待度が下がった理由を、3つの見立てに整理してみる。どれも仮説の域を出ないけれど、T-ARAの新曲を聴くときの自分の耳の動きを説明するには、わりとしっくりくる。

見立て1:情報ギャップが早く埋まった

さきほど触れた情報ギャップ理論の話だ。2曲目の断片は、聴いた瞬間に曲の骨格が伝わりやすかった。骨格が見えると、頭の中の「知らない部分」が減り、想像で補う余地が小さくなる。想像の余地が小さいと、繰り返し聴いても新しい発見が生まれず、期待度は上がらない。1曲目との差は、曲のわかりやすさ、つまり情報ギャップの埋まりやすさだった可能性が高い。

見立て2:損失回避が「知っている部分」を重く見積もった

カーネマンの損失回避の話とも通じる。未完成の断片を聴けば聴くほど、「完成版を初めて聴くときの新鮮さ」という小さな損失が積み上がる。1曲目は、その損失を上回る期待感があったから、差し引きでプラスになった。2曲目は、断片のわかりやすさゆえに「もう知っている部分」が多く、損失のほうが相対的に重く感じられた。期待度が下がったのは、期待そのものが減ったというより、損失感が期待感を上回ったということかもしれない。

見立て3:単純な飽き

いちばん地味だけれど、いちばん説明力が高いのがこれだ。同じ数秒を3日間、合計9回聴けば、さすがに飽きる。1曲目は飽きる前に期待度が上がりきったけれど、2曲目は飽きのほうが先に来た。変動比率強化の話でいえば、報酬(フルバージョン)が得られないまま行動(断片を聴く)を繰り返すと、行動の頻度は下がっていく。9回という回数は、2曲目にとっては、その下降が始まる回数だったのかもしれない。

この観察から、次の新曲をどう聴くか

ここまでの話をまとめると、未完成の状態で聴くことには、期待を押し上げる力と、期待を飽和させる力の両方がある。そして、どちらが勝つかは、曲のわかりやすさと、聴く回数で決まる。T-ARAの新曲のように、サビの印象が強い曲ほど、この飽和は早く訪れやすい。2曲目で期待度が下がったのは、曲が悪いからでも、聴き方が悪いからでもなく、単純に「未完成の繰り返し」という装置の限界に早く触れただけ、というのが今のところの結論だ。

じゃあ、次の新曲はどう聴けばいいのか。ひとつ言えるのは、未完成の断片は「聴きすぎない」ほうがいいということ。具体的には、ティザーは1曲につき2〜3回までにして、あとはフルバージョンを待つ。これは我慢というより、期待度のカーブを折り返させないための、わりと合理的な戦略だ。情報ギャップを適度に残しておけば、フルバージョンを初めて聴いたときの「想像を超えてくる」感覚が、そのぶん大きくなる。

もうひとつ言えるのは、曲ごとに「わかりやすさ」が違うという前提を持つこと。わかりやすい曲ほど、断片の繰り返しは早く効かなくなる。逆に、骨格が見えにくい曲は、断片を何度か聴いても想像の余地が残り、期待度はもう少し長く伸びる。T-ARAの新曲を聴くとき、この曲はどっちだろう、と一度立ち止まってみるだけでも、聴き方は少し変わるはずだ。

そして、これは聴き方の話を超えて、日常のあらゆる「未完成の情報」にも当てはまる。続きが気になるドラマの予告、発売前の商品のティザー、SNSに上がる断片。どれも最初の数回は期待を押し上げるけれど、回数を重ねるほど、期待は飽和に近づく。T-ARAの新曲を聴きながら、自分がどこで「もう知っている」に切り替わるのかを意識してみると、案外、自分の期待のクセが見えてくる。次の新曲が出たときは、2曲目で折り返さないような聴き方を、ちょっとだけ試してみたい。